源氏物語~紫式部からのメッセージ⑦
夢の浮橋~定家と晶子 第五十四帖
行方不明になった浮舟が小野の里にいると聞いた薫は、会いたい一心で和歌を書き浮舟の弟小君に託します。小君は尼君を介して薫の手紙を浮舟に渡しますが、浮舟は小君に会わず俗世との決別の意思を固めます。小君から浮舟の様子をきいた薫は誰かが浮舟をかくまっているのかと邪推します。
最後の「夢の浮橋」の帖は、歌が1首のみ。
五十四帖の中で、歌1首のみは四十二帖の「匂兵部卿宮」とこの帖のみ。
クライマックスのヒロイン浮舟は、顔を衣に引き入れうつ伏すばかり。中途半端にも感じる終わり方は、終わらない愛執の苦しみを暗示するかのようです。女はいかに生きればよいのか。最後のヒロイン浮舟は入水したものの、生きて出家を遂げました。
紫式部は、出家により女性の独立が獲得されると考えていたのでしょうか。出家することで強い覚悟が生まれ、世上の男性の手の届かぬ存在となる。孤独に耐え、独自に生きていこうとする浮舟の意思、それを支え導く仏道。
それこそが浮き(憂き)世にかける橋というメッセージでしょうか。
ぷつっと切れた、長編源氏物語は読者に「いかに生きるか」を自身で考えることをうながすような余白のある終わり方をしています。
だからこそ、「山路の露」をはじめ、千年以上たった現代にいたるまで、脈々と影響を受けた文学が生まれているのではないでしょうか。
最後の帖、夢の浮橋唯一の歌は「54帖歌留多」(屏風作品)に載せています。
【釈文】「法の師とたづぬる道をしるべにて 思はぬ山にふみまどふかな」(薫の独詠)
その後の文学の継承としての「夢の浮橋」の歌2首を作品に仕立てました。右の軸は藤原定家の歌、
【釈文】「春の夜の 夢の浮橋 とだえして 峯にわかるる 横雲の空」
左の軸は与謝野晶子の歌を作品にしたものです。
【釈文】「明けくれに むかしこひしき 心もて 生くる世もはた 夢の浮橋」