旅の扉

石清水八幡宮~京の裏鬼門に鎮座する

Miyako

平安文学にも度々登場する石清水八幡宮。『枕草子』に「八幡、この国の帝にておはしましけむこそ、めでたけれ」とあるように応神天皇を祀り、円融天皇以来、天皇や上皇が240回以上も行幸したという所です。

その起源は清和天皇の貞観元(859)年。僧行教が宇佐八幡宮(大分県)に籠り、「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を賜わったことに始まり、応神天皇の他、神功皇后、比咩大神を祀ります。また京の東南にあるので、都の裏鬼門を守る神宮になりました。

本殿は男山の山頂(143m)にあるので、ケーブルカーに乗車します。途中で京都市街をはるかに見下ろす風景が広がります。

御本殿に対して参道が斜めになっているのは、参詣者が神様の真正面を通らないようにとの配慮だそうです。

現在の社殿は徳川三代将軍家光の創建ですが、日本最古で最大の八幡造りの形式を残し、国宝に指定されています。複雑な形態と朱色が美しくて見飽きません。八幡大神様の使いのハトが正面入口上の横木の上にいました。

『徒然草』には、仁和寺の法師が憧れていた石清水八幡宮にひとりで詣で、山麓にあった極楽寺と高良神社を参拝して本殿まで行かずに帰ってしまった話が書かれていますが、今回はケーブルカーを使ったので、本殿以外は行きませんでした。

ちょうど今週の大河ドラマで、一の鳥居の額縁の字が藤原行成の筆跡を写したものと言っていたのですが、それは見ていません。残念!

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


ABOUT ME
Miyako
Miyako
なし
平安文学と出会ってその世界に魅了され、読み続けています。1000年前に確かに生きていた人の息遣いを感じると心が震えます。自然や人を深く愛した日本文化を大切に、そして一緒に楽しみましょう!
記事URLをコピーしました