関白道隆の最期~酒豪説話あれこれ
ついに道隆が亡くなってしまいました(泣)。病が自分を恨む人々の呪いのせいだと思って、最愛の貴子に看取られた最期でした。貴子の和歌を最後に詠じる場面は素敵でしたが、でも、少しだけ言わせてください。
死因が酒の飲みすぎによる糖尿病というのは、道隆が酒好きだったことが『大鏡』に書いてあって、亡くなる前年から病の症状が出ていたことからの推測です。当時流行っていた感染症なら急速に死に至るはずなので。それについては異論ありませんが、彼の酒との付き合い方は思い切り豪快で、酒友を家に招いて酔い潰れるまで帰さなかったとか……。
『大鏡』には道隆の飲みっぷりを語る多くの話が載っています。たとえば、賀茂詣での際に社頭で飲むお神酒の杯は道隆のために大皿が用意されていて、それを3杯どころか7、8杯もたっぷり飲んだこと。
参詣の途中で酔い潰れ、牛車内で寝込んでしまった道隆を道長が起こすと、起き上がってすぐ携帯用の櫛で髪を整え、何事もなかったような美しい風情で車から降りたこと。烏がとまっている形をした瓶がお気に入りで、酒を入れていつも携帯していたことなどです。
また、彼が亡くなる前に最後に願ったのは、飲み友達とあの世でも飲み交わしたいということだったとか。道隆の病が重篤になった時に彼を訪ねた蔵人頭俊賢は、病になっても衰えない高貴な気品に驚いたとも書いてあります。あの世での話はさすがに作り事めいてますけどね。
さて、私が言いたいことは、道隆は決して人から恨まれ嫌われるような人物でなく、むしろ積極的に人を歓待し、酒席の楽しい雰囲気を愛した貴公子だったということです。
ですから、最期に妻だけに看取られて亡くなったのは寂しいなぁ…と思ったのです。ドラマの演出はそれとして、どうしても言いたくなって書いてしまいました。悪しからずです……。