平安朝の文

『源氏物語』の文➀六条御息所の弔問の文

Miyako

六条御息所という人

 『源氏物語』の女性の中でもひときわ印象深い人が六条御息所です。御息所とは天皇や皇太子の御子を産んだ妃の呼称で、六条は住んでいる場所です。六条御息所は大臣の娘で、16歳で皇太子妃となって娘を産みました。本来なら天皇の后になる予定だったのですが、皇太子が急死して未亡人になった人です。

 光源氏とのなれそめについて物語は語りませんが、7歳年上の御息所に若い光源氏が熱烈にアタックしたのではないでしょうか。しかし、身分も教養も超一流の六条御息所は気の張る相手であり、次第に光源氏の足は彼女のもとから遠のいていきます。反対に御息所の方では光源氏への執着心が強くなっていったのでした。

葵祭での車争い

 ある日、光源氏の正妻葵の上が身籠ったという知らせを聞いて、六条御息所は動揺します。そんな頃、一つの事件が起こります。葵祭の勅使として行列に加わることになった光源氏を一目見ようと待機していた御息所の車を、遅れて来た葵の上の車の従者が無理やり押しのけたのです。御息所の牛車の一部は壊れ、お忍びで来た彼女の素性が周囲に明かされて、正妻との落差をまざまざと見せつけられてしまいました。車争いと呼ばれる『源氏物語』の有名な場面です。

生霊の出現

車争いの後、懐妊中の葵の上は度々物の怪に苦しみます。一方、六条御息所は自分がどこかの姫君に襲いかる夢を度々見るようになりました。そして、出産当日、葵の上に乗り移った生霊が、ついに光源氏の眼前に現れます。間もなく子供は生まれましたが、葵の上は息絶えてしまいます。

 その頃、六条邸にいる御息所の身に不思議な現象がおきていました。祈祷の護摩の香が御息所の髪にいつの間にかしみついていて、髪を洗ってもどうしても取れないのです。彼女は自分が生霊となって、物の怪退散の祈祷を受けている葵の上のところに行ったのだと悟り苦しみます。

光源氏への弔問の文

葵の上の喪に服している光源氏から六条御息所への音信は途絶えていました。御息所は耐えきれず、光源氏に文を送ります。それは咲きかけの菊に付けた青鈍色の手紙でした。鈍色は喪服の色なので弔問に相応しく、青は蕾がちな白い小菊の葉の色に合わせたのでしょう。御息所はいつも以上に心を込めたのでした。

その文には見事な筆跡で、「人の世をあはれと聞くも露けきにおくるる袖を思ひこそやれ(亡くなった人のことを悲しく聞くにつけても涙がにじむのに、後に残されたあなたの袖はどんなに濡れていることかとお察しします)」という和歌が書かれていました。

 しかし、生霊の正体を見てしまった光源氏に御息所の思いを受け入れる余裕はありません。光源氏は、もう私に執着するなとばかりの和歌を返し、それを見た御息所は、娘と共に京を離れることを決意するのでした。

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平安文学と出会ってその世界に魅了され、読み続けています。1000年前に確かに生きていた人の息遣いを感じると心が震えます。自然や人を深く愛した日本文化を大切に、そして一緒に楽しみましょう!
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