和泉式部と敦道親王~身分を越えた恋愛
平安中期の女性作家や女性歌人は個性的で魅力的な人が多いと改めて思うのですが、その一人に和泉式部がいます。前回の大河でついに登場してビックリ!! 自由奔放で色っぽい感じでしたね。
紫式部が勉強している難しい理論や知識などは飛び越えて、自らの感性の赴くままに言葉が溢れ出るような天性の歌人です。和泉式部と二人の親王との恋愛は、平安社会のスキャンダルになりましたが、我が身の体験を糧にして詠む彼女の和歌は、現代に至るまで多くの人々の心を魅了しています。
百人一首に採られた歌もとても情熱的です。
あらざらむこの世のほかの思い出に今一たびの逢ふこともがな
現代訳:私はもう死ぬでしょう。だから、あの世での思い出として、もう一度だけあなたにお逢いしたいのです
恋に生きた和泉式部らしい歌ですが、流れるような言葉の連なりが次第に高まる情熱とリンクしていくのはさすがです。
和泉式部が書き記した日記には、敦道親王と育んだ10ケ月間の恋愛体験が記されています。その中には、交際相手の多い和泉式部を親王が疑う場面も書かれています。前回の大河では和泉式部が誰かに代わって歌を詠んだのを親王が誤解したと嘆いていましたね。
ところが、『和泉式部日記』の中には、親王の方から、他の女性と別れることになり、歌を贈りたいので代詠してほしいと和泉式部に頼む場面があるのです。厚かましいことと思いながらも式部は引き受け、その和歌の後に親王への歌を書き付けました。
君をおきていづち行くらむ我だにも憂き世の中にしひてこそふれ
現代訳:宮様を残してその方はどこへ行くのでしょう。こんな私でさえつらい宮様との関係に耐えていますのに
この皮肉交じりの式部の歌に対して親王は次のように返歌します。
うち捨てて旅行く人はさもあらばあれまたなきものと君し思はば
現代訳:私を捨てていく人などどうでもいいのです。あなたさえ私を唯一のものと思ってくだされば
敦道親王もなかなかの恋の手練れですね。身分や立場を超え、互いに相手の心だけを見つめて求め合う、そんな物語のような恋愛を和泉式部は書き残したかったのでしょう。