いづれの御時にか~『源氏物語』冒頭部について
ついに大河で、「いづれの御時にか…」が聞かれました!このフレーズに興奮する人は『源氏物語』ファンだけではないでしょう。学校教育で一度は教わり、暗記させられることも多い第一巻桐壺巻の冒頭ですから。
そんな有名なフレーズだからこそ、ドラマで作品の執筆が始まったことを示すために使われたのだと思いますが、研究上では、『源氏物語』は桐壺巻から書き始められたのではないと考えられています。これは『枕草子』も同じで、「春はあけぼの」の段は、ある程度書きためた作品をまとめて公表しようと作者が考えた時に、十分に構想を練って、冒頭に相応しい章段として書いたというのが定説です。
『源氏物語』の場合も、作者は最初から長編にするつもりはなくて、光源氏の様々な恋愛を描いた短編を少しずつ書いているうちに、それが評判になって道長にスカウトされたという流れです。では最初に書かれた巻は何かという問題に対しては、紫の君が登場する若紫巻や、光源氏を囲んで男たちが女性談義をする帚木巻、石山寺に伝わる須磨巻など複数の説があります。
しかし、大河の展開のように、定子の思い出から抜けられない一条天皇の気持ちを動かすために物語が書かれ、その冒頭が桐壺巻であったという設定には説得力があります。桐壺巻には、『枕草子』にも引かれる漢詩「長恨歌」の悲恋になぞらえて、たった一人の妃を愛して周囲から非難された桐壺帝が描かれているからです。
次回の大河では、一条天皇が桐壺帝に自分の姿を重ねて自らを振り返り、これではいけないと思う展開があるのでしょうか。さらに、もしそうであれば、光源氏に相当する史実上の皇子は定子の産んだ敦康親王になりますが、光源氏が皇位継承者から外されるという物語展開も史実とリンクするのでしょうか。
「いづれの御時にか」と始まる冒頭が、「今は昔」と始まるそれまでの物語とは異なり実在の朝廷を意識していることが、そんな想定を裏付けるのかもしれません。