えとせとら

彰子の御産のこと~『紫式部日記』より

Miyako

大河ドラマでついに彰子が懐妊・出産しました。平安時代の貴族の出産のすさまじさは『紫式部日記』で知ることが出来ます。

道長の土御門邸には、京の街や山々の寺から僧たちがかき集められ、陰陽師もいる限り呼ばれて、たいそうな人数での祈祷が行われたようです。内裏から来た女房たちは東面に控え、紫式部を含めた彰子の女房たちは北側の障子と几帳の狭い狭間に40人余りも詰めていて、そこは全く身じろぎもできず頭ものぼせてしまう状況だったとか。

なかなか進まないお産の成り行きに、女房たちは皆、泣き出してしまって、その上に邪気払いの米が撒かれ、西面では物の怪を移された女性たちがわめき散らして暴れるという大騒動の中での御産でした。これが妊婦に良いわけがないと現代では思うのですけどね。

彰子の初産は一日以上かかる難産だったので、やっと皇子誕生の折には、いつもきっちり化粧している女房たちも、涙で白粉が剥がれて顔が変わってしまっていたと、日記に書かれています。それでも母子ともに健康で、さらに生まれたのが男児であったことは最高の結果でした。

若宮誕生後、一カ月ほど几帳内で過ごす中宮彰子のもとに、道長がしばしばやって来ます。皇子を抱き上げ、おしっこをかけられても喜ぶ場面、ちょっと期待したのですが、ドラマでは省略されましたね。

天皇がわざわざ道長邸まで皇子に会いに来るのは異例で、道長の権力がそれだけ強くなったことを意味しています。ドラマでは皇子を抱く一条天皇の微妙な表情が演じられていましたが、定子の産んだ敦康親王のことが気になったのかもしれません。

皇子誕生五十日目の祝宴のことも日記に詳しく書かれています。有名な、公任の若紫はいるかと訪ねるくだりや、実資が女房の着物の重なりの数を数えていたという記述も映像化されました。酒宴での貴族たちの乱れっぷりは大変なもので、それを黙認している道長の有頂天ぶりがうかがえます。

何はともあれ、さらに権力を行使していく道長が、どうやって視聴者の反感を得ずに頂点に上り詰めるか、最後に道長自身が何を思い、紫式部はそれをどうとらえるかが見どころでしょうか。

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平安文学と出会ってその世界に魅了され、読み続けています。1000年前に確かに生きていた人の息遣いを感じると心が震えます。自然や人を深く愛した日本文化を大切に、そして一緒に楽しみましょう!
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